日本海軍 戦艦 霧島
キット : フジミ 霧島
霧島は金剛型巡洋戦艦の4番艦として、大正4年4月19日三菱長崎造船所において竣工しました。
3番艦榛名と同日竣工となった経緯は榛名の項で述べたとおり。
第一次、第二次の近代化改装を受け、艦齢26年を経てなお太平洋戦争開戦時も第一線の兵力として存在しておりました。
開戦時は第3戦隊第1小隊として比叡とペアを組み、南雲機動部隊の一艦として真珠湾攻撃に参加しました。
続くインド洋作戦では第2小隊の金剛、榛名と合流し、金剛型4隻が揃って作戦に参加。
この時の4隻揃っての見事な艦隊運動を行う写真は有名です。
その後は金剛とペアを組み第二小隊となってミッドウェー海戦に参加、機動部隊は空母4隻を失いますが霧島に被害はありませんでした。
ミッドウェー海戦後、霧島は再び比叡とペアになり第11戦隊に再編成され、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦に参加します。
昭和17年11月、霧島は陸軍部隊のガダルカナル島増援を支援するため、比叡とともにガダルカナル島攻撃に向かいました。
第三次ソロモン海戦の開幕です。
11月12日の第一夜戦では待ち受ける米巡洋艦・駆逐艦と至近距離で交戦、かなりの損害を与えたものの僚艦の比叡は舵機故障し、翌日の空襲もあり放棄されてしまいます。
霧島を含む残存艦隊は再編され、11月14日の第二夜戦を迎えます。
しかし、今度は鉄底海峡で待ち受けていたのは2隻の16インチ砲を備えた新鋭戦艦サウスダコタ、ワシントンでした。
霧島は重巡愛宕、高雄とともにサウスダコタを攻撃、撃破しますが、その後ワシントンとの交戦で至近距離から40センチ砲弾多数を受け、ついには失われました。
霧島は太平洋戦争に参加した12隻の日本戦艦の内、唯一戦艦同士の砲撃戦で沈んだ戦艦でした。
霧島と比叡。ともに1942設定。
比叡はエッチングを使ってみましたが、霧島はサックリ仕上げです。
後檣少しいじったくらいであまり手を入れてません。
思えば霧島の存在をはじめて知ったのは小学生の頃読んだ高橋孟の海軍めしたき物語でした。
「兵器」「スペック」の部分だけでなく生活や組織といった分野でミリタリーの世界を広げてくれた本でした。
初めて作ったウォーターラインの戦艦は旧フジミの霧島でしたしね。