日本海軍 戦艦 比叡





キット : フジミ 比叡

 大正3年8月4日、比叡は金剛型2番艦として竣工しました。 
 1番艦金剛は英国ビッカース社にて建造されましたが、比叡は横須賀海軍工廠にて建造されました。とはいえ、資材のほとんどはビッカース社より供給されておりました。今で言うところのノックダウン生産ってものでしょうか。
 
 比叡は他の金剛型とともに竣工当時世界最強の巡洋戦艦戦隊と謳われ、第一次大戦時に英国より借用の申し入れがあるほどであったのは榛名の項で述べたとおりです。
 比叡もまた第一線兵力として運用されておりましたが、ロンドン海軍軍縮条約での戦艦保有数減に伴い兵装、装甲の一部撤去、汽缶の換装の上で練習戦艦へと改装されました。


 


 練習戦艦時代も観艦式での御召艦を務めるなど活躍しておりましたが、昭和12年にワシントン条約脱退に向け、ついに現役復帰のための工事が始まります。
 兵装、装甲、機関は強化され、また計画中の新戦艦大和型のための装備の試験艦となったことから他の金剛型とは違った艦影を持つこととなります。
 昭和15年、改装成った比叡は帝國海軍最後の観艦式、紀元二千六百年特別観艦式において再び御召艦を務め、その精悍な姿を国民に披露しました。
 比叡の復帰により世界最強の巡洋戦艦部隊は30ノット発揮の高速戦艦部隊として復活し、4姉妹はそろって太平洋戦争へと向かっていくこととなります。



 開戦後、比叡は僚艦とともに真珠湾攻撃、インド洋作戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦と転戦し、ついに昭和17年11月、運命の第三次ソロモン海戦第一夜戦を迎えます。
 ガダルカナル島砲撃のため出撃した比叡、霧島以下第二次挺身砲撃隊は待ち構えた米艦隊と交戦し、かなりの損害を与えたものの比叡は舵機を故障、復旧回収が図られたものの翌日の米軍機による空襲と日本軍司令部の事実誤認によって比叡は沈没し、太平洋戦争における日本戦艦喪失第一号となってしまいました。

 ちなみに僚艦霧島も翌日の第二夜戦にて米戦艦ワシントン、サウスダコタと殴り合いを演じサウスダコタを撃破するものの鉄底海峡の底に沈むこととなります。




 同じ金剛型の三番艦榛名と。
 構造物の基本レイアウトは同じですが、シルエットはだいぶ違います。
 あとは写真ではわかりにくいですが主砲塔側面にナックルの有り無しが相違点ですね。
 金剛比叡は角ばった砲塔、榛名霧島は丸い砲塔になってます。

 金剛型は4隻すべて微妙に違います。今回のフジミ新キットはそのあたり旧フジミやハセガワよりずっと良くできてますね。







 比叡と超大和型。
 艦橋デザインはテストベッドとなっただけあって他の金剛型より近いものとなってます。
 九八式方位盤が前後射撃指揮所に配置され、後部射撃指揮所は単なる予備でなく独立して射撃指揮が取れるように改められてます。
 そのおかげで分火射撃ができる日本戦艦は大和型戦艦と比叡のみだったとか。